|群馬県・栃木県・茨城県・埼玉県・千葉県・神奈川県・東京都で活動する建築家デザインユニット・一級建築士事務所|
アキラのコメントにも関係しますが、良い機会なので私達のこれまでについて簡単ですが記述したいと思います。
*studioLOOPの始まりは1997年、私が高校3年生の時でした。
当時私は祖母、母、叔母、姉、私、弟の6人家族でした。
叔母は手足に障害のある人で、すでに他界していた父の変わりに母が家族の生活を支えていたため、日中は祖母が叔母を看ていました。
その祖母が高3の時になくなり、叔母は自ら施設に行く事を決めたのです。
私は障害があると言うだけで家族と共に「住まう」事が出来ないという現実に深い憤りを感じました。
叔母が気兼ねなく過ごせる家を私自身で設計しよう、そして同じ様な思いをしている人達の助けになれる設計事務所を立ち上げようと決めました。
その為には信頼も衝突もできる仲間が必要だと感じ、アキラ、マサル、ユウイチに伝えた所全員が賛同してくれました。
アキラは経済を、ユウイチは不動産を学ぶため、またお互い切磋琢磨できるようにと同じ大学に進みました。
私は福祉の建築を学ぶために米国の大学へ、マサルは活動の場となる日本の建築を学ぶために国内の大学に進みました。
米国で私は同様に日本から建築を学びに来たエイジと出会いました。
お互い刺激を受けながら異国の地で卒業まで共に過ごす中で信頼が生まれ、将来一緒に活動して欲しいと話すとエイジは快諾してくれました。
エイジは引き続き米国で学ぶため大学院へ、私は建築士受験資格を得るために日本の設計事務所へ進みました。
日本ではアキラ、マサル、ユウイチもそれぞれが卒業を迎え、自らが尊敬する企業へと進みました。
就職に関して職種や場所等、仲間同士で相談はしませんでした。
好きだと思える仕事でないと意味がないのはもちろんですが、
仲間に言われたからという理由は作らず、自己の責任で決定する事、
やるからには本気で勤めるため、独立の時期まではそれに関しての活動を一切行わない事、
それが5人の意識として共通していたからです。
また、勤めた上で独立には参加せずその職場で生きていきたい、そう考え方が変わった者がいたなら誰も止めない、それも共通の考えでした。
97年から活動開始して丁度10年、独立の時期は今だと考え大学卒業後初めて全員で確認した所一人も意志は変わっていませんでした。
私達は全員が原点である「住まう」事についてそれぞれの考えでこの10年学んで来たような気がします。
一人は家族と離れ「住まう」と言う事を、一人は言語や文化の違った場所で「住まう」と言う事を、一人は年齢や身体に関係なく「住まう」と言う事を、一人は色や光と共に「住まう」と言う事を、一人はこの国で「住まう」と言う事を。
今後私達は様々なデザイン活動を行っていきますが、その活動の中心となるのは「住まい」の設計です。
まだ開設前で実作はなく活動内容が把握しにくい状況ではあると思いますが、今後とも*studioLOOPの活動を楽しみにしていただければと思います。
*studioLOOPの始まりは1997年、私が高校3年生の時でした。
当時私は祖母、母、叔母、姉、私、弟の6人家族でした。
叔母は手足に障害のある人で、すでに他界していた父の変わりに母が家族の生活を支えていたため、日中は祖母が叔母を看ていました。
その祖母が高3の時になくなり、叔母は自ら施設に行く事を決めたのです。
私は障害があると言うだけで家族と共に「住まう」事が出来ないという現実に深い憤りを感じました。
叔母が気兼ねなく過ごせる家を私自身で設計しよう、そして同じ様な思いをしている人達の助けになれる設計事務所を立ち上げようと決めました。
その為には信頼も衝突もできる仲間が必要だと感じ、アキラ、マサル、ユウイチに伝えた所全員が賛同してくれました。
アキラは経済を、ユウイチは不動産を学ぶため、またお互い切磋琢磨できるようにと同じ大学に進みました。
私は福祉の建築を学ぶために米国の大学へ、マサルは活動の場となる日本の建築を学ぶために国内の大学に進みました。
米国で私は同様に日本から建築を学びに来たエイジと出会いました。
お互い刺激を受けながら異国の地で卒業まで共に過ごす中で信頼が生まれ、将来一緒に活動して欲しいと話すとエイジは快諾してくれました。
エイジは引き続き米国で学ぶため大学院へ、私は建築士受験資格を得るために日本の設計事務所へ進みました。
日本ではアキラ、マサル、ユウイチもそれぞれが卒業を迎え、自らが尊敬する企業へと進みました。
就職に関して職種や場所等、仲間同士で相談はしませんでした。
好きだと思える仕事でないと意味がないのはもちろんですが、
仲間に言われたからという理由は作らず、自己の責任で決定する事、
やるからには本気で勤めるため、独立の時期まではそれに関しての活動を一切行わない事、
それが5人の意識として共通していたからです。
また、勤めた上で独立には参加せずその職場で生きていきたい、そう考え方が変わった者がいたなら誰も止めない、それも共通の考えでした。
97年から活動開始して丁度10年、独立の時期は今だと考え大学卒業後初めて全員で確認した所一人も意志は変わっていませんでした。
私達は全員が原点である「住まう」事についてそれぞれの考えでこの10年学んで来たような気がします。
一人は家族と離れ「住まう」と言う事を、一人は言語や文化の違った場所で「住まう」と言う事を、一人は年齢や身体に関係なく「住まう」と言う事を、一人は色や光と共に「住まう」と言う事を、一人はこの国で「住まう」と言う事を。
今後私達は様々なデザイン活動を行っていきますが、その活動の中心となるのは「住まい」の設計です。
まだ開設前で実作はなく活動内容が把握しにくい状況ではあると思いますが、今後とも*studioLOOPの活動を楽しみにしていただければと思います。
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